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修了者インタビュー

大阪大学 理学部 数学科卒 宇野勝博 様

 自己紹介

 1976年に大学入学以来、大阪教育大学に在籍した約10年間を除き、学生、院生、教員として大阪大学にいます。専門は数学ですが、現在は、初年次教育を運営する全学教育推進機構の副機構長と大学院理学研究科数学専攻教授を務めています。
 高校生の時から数学が好きで、大学の数学科に進みたいと思っていました。また、大学入学後も幸い数学を更に面白く感じることができ大学院に進学しました。しかし、元々数学に加えて数学教育にも興味があり、仕事では、40歳代半ばから数学教育の比率が上がってきました。これまでを振り返ってみると、数学の世界、教育の世界をはじめ様々な世界の人と出会える幸運があったと思います。他分野の研究者の方や小説家の方と知り合うこともでき、数学を専門とする者以外の視点でも数学教育について考えることができました。また、新学習指導要領策定作業に携わる機会をいただき、カリキュラムの中身を真剣に議論したこともありました。一教員ができることには限界がありますが、学ぶ喜びが得られる数学教育が広がることを願い、これからも努力を続けようと思います。

 日本証券奨学財団との出会い

 音楽活動をしたりアルバイトをしたりと普通の大学生活を送っていました。入学後暫くして、何かの費用になればとの単純な思いから、掲示板で紹介されていた奨学金の中からいくつか選び担当の係に相談に行ったところ、日本証券奨学財団を奨められました。後になって考えてみると、その時は、社会との繋がりや自身の勉学への責任について考えるため、別の世界を見てみたいと思ったのかもしれません。その意味でも、日本証券奨学財団の奨学生に選んでいただき幸せでした。

 奨学金と私の学生生活

 奨学金をいただいていた学部学生の頃、同じ大学や関西地区の奨学生の集まりの席で、奨学生の方や学生部長の先生と話す機会を得たことが新鮮でかつ楽しい思い出です。大阪大学の学生部長は、私が2年生の時は後に付属病院長を務められた坂本先生、その次は、後に総長を務められた熊谷先生でした。お二人と気兼ねなく話した貴重な体験は今でも何かの形で心の中に残っているように思います。奨学金授与式に参加するため上京したときのことも、一人で宿泊するのは初めてだったのでよく覚えています。自宅から通学していた私は、奨学生となって突然世界が広がったように感じていました。

 日本証券奨学財団にまつわる思い出

 何が切掛けか忘れましたが、証券奨学同友会の大学幹事、関西地区代表幹事を務めさせていただき、総会や会報編集のお手伝いができたこともありがたい経験でした。関西地区の大学幹事は大変仲が良く、幹事としての用事がなくても集まっていたように思います。これは、同友会創立時からの伝統ではないかと思いますので、同友会を立ち上げた先輩幹事諸氏には大いに感謝しています。また、会報を通じて、建築家の隈研吾先生やiPS細胞の山中伸弥先生がOBにいることを知り、すごい会だなと思っていました。ついでながら、私は大阪教育大学在籍中2年間、附属天王寺中学校の校長と附属高等学校天王寺校舎主任(校長代理のような役職)を務めていたのですが、たまたまその時に附属天王寺卒業生である山中先生がノーベル賞を受賞され、山中先生の母校代表者として祝意を表する談話を発表するという光栄な体験をしました。山中先生が附属中学校を訪問されたときも、日本証券奨学財団のことを話題にさせていただきました。

 後輩の皆さんへ

 自分とは考え方・感じ方の異なる人と接すると、自分に都合の良いことだけでなく、時には少々辛いことも経験するかもしれません。また、人との付き合いは煩わしいと思うかもしれません。しかし、人と触れ合うことで、短期的な費用対効果だけでは評価できない何かを得るはずです。そのような場はありがたいものですし、積極的に得るべきだと思います。日本証券奨学財団が設けられる機会は取り分け貴重ですのでぜひ大切にしてください。
 ここ数年仕事でサポートしてくれている事務職員のそつない仕事ぶりや心配りに感心して話を聞いてみると、新人時代の上司から「依頼すべきことがあるなら必ず自ら足を運ぶこと」などの指導を受けて、人との関わりを大切に仕事を進めているとのことでした。ぜひ皆さんも、人と関わり、人の輪に入って、思いを形にしてください。人と繋がる場が皆さんの夢を実現する場です。皆さんの将来を大いに期待しています。

 宇野勝博(1980年大阪大学理学部卒業)
  現職 大阪大学全学教育推進機構副機構長
     同大学大学院理学研究科教授
  日本証券奨学財団評議員

(2021年3月)