私は昭和 50 年(1975 年)から 2 年間修士課程時代に当財団より支給を受けました。つい最近整理した書類の中から奨学生に選ばれた時の財団で写された集合写真が出てきて当時のことが思い出されました。何といっても貸与でなく支給であることは魅力的でした。当時の大学の授業料(私立で年間 8 万円でしたが財団からの年間支給総額は年間 36 万円)をはるかに上回っておりました。
自宅通学者でしたので、それに家庭教師を 2 つほどやることにより研究のため(一部は趣味の本もありましたが)の本の購入には困らず何かとてもリッチな気分になったことを思い出します。修論を書くため 2 年生 の夏休み、同じ奨学生の方と一緒に信州の学生村に一月ほど滞在しましたが、のんびりとしかし豊かな生活が過ごせたものと今感じる次第です。
修了生となってからも財団には度々OB/OG 会を開催していただき、それが縁で同期の奨学生を中心に月 1 回の勉強会を立ち上げて軌道に乗せたのも良き思い出です。20 年ほど続いたでしょうか。当財団の良いところは学部・研究科を問わず様々な分野の方が集まってきているところです。東大出身の修了生の計らいで毎回学士会館にて侃々諤々と語り合ったのが昨日の事のようです。多くのメンバーが海外勤務や東京以外の都市での勤務となり 20 年ほどで立ち消えになったのは今もって残念です。
証券(S)奨学(S)財団の OB の会ということに引っ掛けて BOSS の会と名付けました。建築家、弁護士、医師、編集者、大学教員、もちろん一般事業会社の方もおられ多士済々でした。
私自身は修士を終えて私は最初、メーカーに就職したのですが、そこは 4 年ほどで辞めて、その後はシンクタンクや金融機関のリサーチャーとして 25 年ほど勤務したのち 2005 年に縁あって大学の教員になりました。
大学の教員になって思ったのは今の学生の方々は大変勤勉である(あるいはそのように見える)という ことです。また素直であるということです。もちろん私の接した方々という条件付きですが。反面、少し物足りないと感じることもあります。
それは、結論を早く見つけたがる、ということではなかろうかと思います。よく、TV の番組で識者の中に「なりたい自分になる」とか「好きなことを見つけてそれに向けて一目散に進め」という教示を若者向けにされる方がいますが、自分の経験から言えば、そんなに簡単にみつかるものかな、と思います。自分のどこに持ち味があるかということを知ることはなかなか難しいのではないでしょうか。
私見では、結論を急ぐ前に、広く時には深く、実利を追わず、彷徨う(さまよう)ことが必要かなと思うのですが、古いですかね。
最近医療統計学の分野では RWD という概念が取り入れられています。Real World Data の略語ですが、臨床試験のデータの質に関してより厳密な思考様式を求めるものと(素人である)私は理解しています。今、統計的に処理された一見正しいことに我々は左右される面が往々にしてあるのですが、よく言われる皮相な相関関係が成立することのみでコトの是非を即断してしまうことがあります。そう言ったコトに疑問を持ち、まさしく RWD をもう一度見極めてみるということが必要であると思います。
こういった探求心をもつためには暴論かもしれませんが若い時には彷徨ってみることが必要だと思います。今役立つことはすぐに役立たなくなります。すぐ陳腐化する流行を追い求めるのではなく一歩立ち止まって考えてみるべきではないでしょうか。
永らく実務家として過ごし大学で研究者になった人間としてそう考えます。
最後に 10 年ほど前から縁あって当財団の研究調査助成選定委員会委員を務めております。奨学生の方の選定にタッチするわけではありませんが、当財団が気鋭の研究者の研究活動を支援するための委員会です。恩返しと思い当財団の素晴らしい理念の実現に少しでもお手伝いできればと思う次第です。
北川哲雄 (昭和 52 年早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了)
現職)青山学院大学名誉教授・東京都立大学特任教授
日本証券奨学財団研究調査助成選定委員会委員
(2021年2月)