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修了者インタビュー

法政大学常務理事 副学長 廣瀬克哉 様

自己紹介

87年に博士号の取得と同時に法政大学に助教授として赴任し、教員になって32年目です。
現在は法政大学常務理事、副学長を務めています。

日本証券奨学財団との出会い

当時在学していた東京大学は、大学院生と学部の学生をそれぞれ推薦しており、博士後期課程に進学したときに大学の厚生課から教えていただいて応募しました。

奨学金応募の動機

当時の文系の博士課程は3年ストレートで学位が取得できる人はほとんどいなくて、4~5年かかるのが当たり前でした。育英会の奨学金も正規の在学期間までしか支援がなく、そこから先の展望を含めて考えて、経済的に自立して学位取得までいけないかということを色々算段しました。
研究には洋書の専門書など学部生の教科書代と比較にならない費用がかかってきます。ご支援をいただければ研究にかける費用も増えますし、アルバイトにかかる時間も最低限に抑えていければ負担も少なくすみます。

修了後の進路について

政治学の領域というのは直接自分の専門を職業に役立てるというのは、ジャーナリストになって政治部の記者をやるか、官僚になって政府の仕事をするという選択しかなく、東京大学の学生は後者の選択をする人は山ほどいました。そのような中で、時の政府、組織の中で仕事をするよりも、距離を置いて現状に対して批判的に考えたり社会に対して物を言ったりしていきたいという欲求がありました。ジャーナリストになればそれができますが、当時の政治部の記者というのは政策より政局という傾向が強く。また、日々をリアルタイムで追いかけていくのと、5年、10年というスパンで将来日本がどうなっていくのだろうと考えていくことのどちらが自分に向いているだろうと考えたときに、少し長いタイムスパンで社会の構造を的確に分析して物を言いたいと思っていました。そこで、研究者になって大学教員になりたいと、大学院への進学を決めました。
そして87年の秋に博士号を取得して、89年の2月に「官僚と軍人」という最初の本を出しました。私の最初の研究は防衛省の官僚制の研究だったのですが、ちょうど、法政大学で「平和・軍事研究」という科目を新設するために教員として採用していただきました。

奨学金と学生生活について

■ 今後の大学の在り方や学び方のシステムについて

1950年代から50年間、日本はどんどん近代工業社会になっていき、都市化が進み製造業が基盤にあって、大量のモノをつくって流通させて消費する生活様式が広がり、それを支える大きな組織の運営者として色んな領域で活躍できるゼネラリストを大勢育てて送り出すというのが大学教育の大きな社会的役割でした。
ところが、これからは情報に関わるテクノロジーの社会的応用が世の中の大きな構造転換をもたらす時代に入ったと思っています。そのために大学はどうなっていくべきなのか。5割以上の人が18歳で大学を目指し、かつ日本の大学の学費は家計が支えることが前提になっていて、特に私立の学費は4年間で数百万円という額を親御さんが投じてくださっています。大学を卒業した後、時代の変化に対応して学び直しをしようにも既に社会人となった方達は、家族を持ち子育ても始まっているかも知れない時期に、場合によっては仕事をやめて数百万円を自分で負担しないと大学での学び直しはできない。そんな経済的、時間的余裕のない人がほとんどです。それでは、どういう構造やお金や時間を創ればよいのか、そこから組みなおしをしていかないとこれからの社会に向けた学び方のシステムはできません。大学という組織体がどうあるべきか、教育システムをどうするかということだけではなくて、学ぶ人の側に学べる条件をどう整えるかという面が決定的に大事だと思っています。

■ 東京の大学生の環境変化について

法政大学は最近15年くらいの間に自宅通学生の割合が10数パーセント増えました。これは早慶MARCHなどで同様です。全国から有為な若者が集い、色んな出身地の若者が交流と交友の場を持ち切磋琢磨していくという場が、首都圏ローカルな場になり、その分同質性が高まっています。地方創生の面からも地方から若者を吸い上げる装置としての大学の役割は抑制するよう23区内の大学の定員抑制も行われているのですが、ただ、これがあまり進むと、東京の大学はますます東京ローカルの大学になってしまいます。
東京ローカルで育った青年たちが、日本=首都圏という生活体験しか持たないで育っていきます。そうすると日本全体のことを彼らが理解できるでしょうか? 大学という場が、多様な地域出身の、生活経験も異なる学生たちの交流と切磋琢磨の場であることは、地方創生のためにも重要なことだと考えています。

■ 地方出身の学生にとっての給付型奨学金の意義

地方の学生を東京の学校に送り出すためには、親御さんの経済力が必要になります。そういう意味で貸与ではなく給付型の奨学金として支援がいただけるというのは非常に大きく効いてきます。月数万円は絶対額だけでみると大した金額ではないとイメージされるかもしれませんが、特に地方からお子さんを送り出している親御さんから見ると結構大きな違いです。月々の仕送り額数万円の違いで東京への進学を断念したり、2人目は無理となったり、進学の選択肢を左右するだけの意味のある数字だと思っています。
地方の大学でも魅力的なところはたくさんありますし、教員や地域社会との距離の近さというのは東京で育った若者にとっては学生生活を送るうえでいい経験になると思います。しかし、首都圏の家庭では自宅から通えるところで選択肢はいくらでもあるので、経済的な面で負担の大きい地方への進学をあまり選びません。そのような状況が若者たちの交流を阻む構造になっていているのでその両方向に(奨学金の存在が)効いてくると思います。

■ 給付型奨学金と貸与型奨学金の違い

貸与の奨学金に対して近年、所得が厳しければ厳しいほど借入を手控える、出来るだけ低く抑える傾向が目立ってきています。本当に苦しい家庭の場合、高校から奨学金を借りていますから、更に大学4年間分となると大きな金額となり卒業後の返還の負担が相当苦しいので出来るだけ低く抑えたい。そうすると在学中にアルバイトを過剰にやらざるを得ないことになりがちです。大学の成績不振者のかなりの割合がアルバイトに時間を取られすぎているタイプなのです。アルバイトで経験できることに意義があるのも確かだけれどもアルバイトに取られる時間が長い・アルバイトで勉強ができないというのは学生生活にとって本末転倒ですから、その意味でも、40数年目の我々の時代以上に学部学生にとってもこのような給付型の奨学金は学ぶ条件の整備として大事になってきていると思います。

日本証券奨学財団の思い出・後輩へ一言

私の奨学生時代もそうですし奨学生を送りだす教員としても経験したことですが、学生達の交流の場を積極的に設定してくださっています。私が在学の頃は80年代半ばですから時代的なこともあり、大学毎の集い、西日本・東日本での他大学との集いもありました。そして、奨学生の集いにあたっては学生だけで集まっていては駄目だと、大学の厚生課にも挨拶に行って招待しなさい、あなたの大学にはOBにこの先生がいらっしゃるから来ていただきなさい、その分のコストは財団が用意するからと。自分の学部でなければ会ったこともない先生にコンタクトを取り、先生方は最大限優先して参加されました。
時に奨学財団の奨学生は飲み会ばかり行っているといわれることもありましたが、財団の方も参加され、学年や年齢を超えて交流することが学生にとって有意義なものであると話してくださいました。このようなことは、他の奨学金ではなかなか聞かないことですね。

以上

(2019年3月)